情報収集のために定時の15分前に病棟へ入る。その15分は、給与明細のどこに載っているでしょうか。「みんなそうしているから」で流れてきた時間が、実は国が是正を指導している形とそっくりだった、ということがあります。
厚生労働省が2026年8月21日、令和7年(2025年)に全国の労働基準監督署が扱った賃金不払事案の監督指導結果を公表しました。対象は全産業で、看護職を抜き出した数字ではありません。それでも中身を開くと、看護の現場から見て他人事にできない数字と事例が並んでいます。
この記事でわかること
- 賃金不払の指導で、対象になった労働者数がいちばん多かった業種はどこか
- 国が指導した是正事例2件が、看護のどの場面と同じ形をしているか
- 給与明細と打刻のどこを、どの順番で見ればいいか
- 職場で確認できることと、確認しても変わらないときの相談先
対象人数と金額で、保健衛生業が全業種の1位だった
まず全体像です。令和7年に監督指導で扱われた賃金不払事案は22,605件、対象労働者は173,016人、金額は128億5,782万円でした。前年と比べると件数は251件増えましたが、労働者数は12,181人減り、金額は43億5,331万円減っています。
このうち令和7年中に支払われて解決したのは21,731件(96.1%)、167,828人(97.0%)、109億9,703万円(85.5%)です。逆に言えば、874件・5,188人・18億6千万円ほどは年内に支払われていません。ここには翌年へ繰り越された事案のほか、倒産や事業主の行方不明で支払われなかったものが含まれます。金額ベースで14.5%が未払いのまま年を越したことになります。
そして業種別の内訳です。公表資料は件数・労働者数・金額の3通りで順位を出しており、保健衛生業の位置が指標によって変わります。
| 指標 | 保健衛生業の値 | 順位 | 1位の業種 |
|---|
| 対象労働者数 | 47,033人(27.2%) | 1位 | 保健衛生業 |
| 金額 | 27.1億円(21.1%) | 1位 | 保健衛生業 |
| 件数 | 3,620件(16.0%) | 3位 | 商業 4,701件(20.8%) |
労働者数では2位の製造業が43,028人(24.9%)、3位の商業が20,568人(11.9%)。金額でも2位の製造業26.0億円(20.2%)を上回っています。件数では商業4,701件、製造業4,370件に次ぐ3位です。
件数が3位なのに人数と金額が1位だったことは、1件あたりの対象人数・金額が他業種より大きい可能性を示します。ただし、公表資料だけではその原因を特定できません。施設共通の丸め処理や手当計算が複数人へ影響した事案も考えられますが、ここは統計から確認できた事実と推測を分けて読む必要があります。
ただし「保健衛生業=看護師」ではありません
ここは誤読しやすいので明確にしておきます。労働基準行政の業種分類でいう「保健衛生業」は、医療保健業だけを指すのではありません。医療保健業、社会福祉施設、その他の保健衛生業(浴場業など)を合わせた区分です。社会福祉施設には高齢者施設、障害者施設、保育所などが含まれます。
つまり47,033人は、病院で働く看護師の人数ではありません。介護施設や保育所で働く人も同じ枠に入っています。「看護師の未払いが全業種で最悪だった」と読むのは行きすぎです。読み取れるのは、人を相手にする現場が集まったこの区分で、対象人数と金額が突出しているという事実までです。
その上で、なぜ他人事にできないのか。答えは統計ではなく、同じ資料に載っている是正事例のほうにあります。
事例1:始業直前と終業直後の15分を、一律に切り捨てていた
公表資料が挙げた1件目は、自動車・同附属品製造業の事業場です。業種は看護と関係ありません。それでも起きていたことを読むと、思い当たる人が多いはずです。
労働基準監督署が立入調査したところ、ICカードで労働時間を管理しているにもかかわらず、始業直前と終業直後の15分については、業務に従事していたかどうかにかかわらず一律に切り捨てる処理が行われていました。しかもその処理は慣例になっており、労働者によってはその15分に実際に業務をしていた可能性が否定できない状態でした。
指導を受けた事業場は、過去にさかのぼって各労働者から事実関係を聞き取る実態調査を行い、差額の割増賃金を追加で支払いました。あわせて一律の切り捨て処理を廃止し、始業直前・終業直後であっても業務に従事していた時間には割増賃金を支払うことにしました。
この形を看護の言葉に置き換えると、どうなるでしょうか。
始業前に受け持ち患者のカルテを開いて情報収集する。夜勤の申し送りを受けるために早めに入る。日勤終わりに記録が残っていて、打刻してから続きを書く。委員会の資料を勤務時間外にまとめる。どれも「業務に従事していた時間」の候補です。それを打刻の丸め処理が機械的に消していれば、事例1と同じ構造になります。
大事なのは、資料が一律切り捨てを「慣例となっており」と記している点です。意図の有無にかかわらず、設定や慣例が続けば実際の業務時間との差が積み上がります。打刻と実態を照合しなければ発見しにくい問題です。
事例2:固定残業代を超えた分と、深夜割増が支払われていなかった
2件目は建設資材等の卸売業の事業場です。こちらは夜勤のある働き方に重なります。
この事業場では固定残業代として月20時間分の割増賃金が支払われていました。出退勤や時間外労働の状況自体は把握されていたにもかかわらず、20時間を超えた時間外労働については「固定残業代を払っているから」という理由で確認も管理もされておらず、割増賃金が支払われていませんでした。さらに、深夜労働に対する割増賃金も支払われていませんでした。
是正勧告を受けて、事業場は過去にさかのぼって実態調査を行い、正しい時間外・深夜の労働時間数を算出し、再計算のうえ差額を追加で支払いました。今後は月20時間を超える時間外や深夜労働の時間数を確実に確認して支払うこととしています。
公表資料は固定残業代について、2つの留意点を挙げています。就業規則等で通常の労働時間の賃金にあたる部分と割増賃金にあたる部分を判別できるようにする必要があること。そして割増賃金にあたる部分の金額が、実際の時間外労働等の時間に応じた割増賃金の額を下回る場合には、その差額を支払う必要があることです。
夜勤をする看護職にとって、この事例が示す確認点は2つあります。ひとつは、みなし残業・固定残業手当がついている場合に、その時間数を超えた月の扱いがどうなっているか。もうひとつは、深夜帯(原則22時から翌5時)の割増が、夜勤手当とは別に計算されているかどうかです。夜勤手当という名前の一時金があると、それで深夜割増も含んでいるつもりになっている、という取り違えが起こりえます。名前ではなく、就業規則と給与明細の項目立てで判別できる状態になっているかを見ます。
「労働時間」はどこからか、資料が書いている
同じ資料には、労働時間の考え方も明記されています。労働時間とは使用者の指揮命令下に置かれている時間のことで、使用者の明示または黙示の指示により労働者が業務に従事する時間がこれに当たるとされています。
さらに具体例として、使用者の指示により就業を命じられた業務に必要な準備行為(着用を義務付けられた所定の服装への着替え等)や、業務終了後の業務に関連した後始末(清掃等)を事業場内で行った時間は労働時間に該当する、と書かれています。
「黙示の指示」という言葉に注目してください。上司が「早く来い」と口に出していなくても、その時間に来なければ業務が回らない状態が続いていれば、指示がなかったとは言い切れません。ここは個別の事情で判断が変わる部分なので、この記事で「あなたの前残業は必ず労働時間だ」と断定することはしません。ただ、判断の入口が「命令されたかどうか」だけではないことは知っておいて損がありません。
使用者側の義務としては、労働時間を適正に把握するために、労働者の労働日ごとの始業・終業時刻を確認し、適正に記録することとされています。
給与明細と打刻を、この順番で見る
ここまでの内容を、自分の手元で確認できる形に落とします。1か月分の給与明細と打刻記録をそろえてから、上から順に見てください。
- 打刻時刻と、実際に働き始めた/終えた時刻がずれていないか。 ずれているなら、その差は何分か。毎日なのか、特定の曜日や勤務帯だけか。
- 時間の丸め処理があるか。 15分単位、30分単位で切り捨てられていないか。切り上げと切り捨ての両方があるのか、切り捨てだけか。
- 固定残業代(みなし残業手当)の有無と時間数。 就業規則に、基本給部分と割増部分が判別できる形で書かれているか。
- その時間数を超えた月に、超過分が別途支払われているか。 超えた月がないか、給与明細を数か月分並べて確認する。
- 深夜割増の金額と計算方法を判別できるか。 夜勤手当に含む扱いなら、就業規則や賃金規程で割増部分を確認できるか。
- 割増賃金の算定基礎に、どの手当が入っているか。 基本給だけで計算されていないか。
- 36協定がどうなっているか。 資料は、過半数組合の要件を満たさない場合や、過半数代表者の選出が適正に行われていない場合には、36協定を締結して届け出ても無効になり、法定外の時間外・休日労働をさせられないと明記しています。誰が代表になったか、どう選ばれたかを知っていますか。
- 記録を自分の側にも残す。 出退勤の時刻を自分でメモしておくと、後から確認するときの手がかりになります。
この8項目を一度でも通しで見ておくと、次に「なんとなく給料が合わない気がする」と思ったときに、どこを見ればいいかが分かる状態になります。
職場で変えられることと、変えられないこと
未払いの疑いに気づいたとき、いきなり転職を考える必要はありません。この統計が示しているのは、むしろ逆のことです。
事例1も事例2も、指導を受けた事業場はその場で運用を変えています。丸め処理を廃止した。超過分を確認して支払うことにした。つまりこれらは、職場を変えなくても是正されうる種類の問題です。運用の設定が間違っているだけなら、設定を直せば直ります。
一方で、確認しても変わらない場合もあります。資料には送検事例も2件載っています。1件は労働者7名に定期賃金の全額(合計約130万円)を所定支払日に支払っていなかった疑いで、最低賃金法第4条第1項違反として書類送検されたもの。もう1件は労働者2名の時間外労働および深夜労働に対する割増賃金(約12万円)を支払っていなかった疑いで、労働基準法第37条第1項・第4項違反として送検されたものです。いずれも是正勧告を受けたのに是正が図られなかったため捜査に至っています。
是正勧告を受けても直さない職場が現実に存在する、ということです。この段階まで来ている職場で、個人の努力で状況を変えるのは現実的ではありません。
勤務先が倒産した場合には、別の制度があります
冒頭で触れたとおり、令和7年に解決しなかった事案には倒産によるものも含まれます。この場合について、厚生労働省は同じ報道発表で「倒産により解決が困難な事案については、『賃金の支払の確保等に関する法律』(昭和51年法律第34号)に基づく未払賃金立替払制度を迅速かつ適正に運用してまいります」と述べています。
一定の要件のもとで、未払賃金の一部を国が立て替える制度です。病院や介護施設の倒産は実際に起きています。勤務先が倒産して給与が支払われないまま退職した、という状況になったときに、この制度の存在を知らないまま諦めてしまうのがいちばんもったいない。要件や申請の期限、立て替えられる範囲は制度で定められているため、労働基準監督署または独立行政法人労働者健康安全機構に確認してください。
判断の目安をひとつ置くとすれば、声を上げたときに職場が「調べます」と言うか、「そういうものだ」と言うかです。前者なら運用の問題として動く余地があります。後者が繰り返されるなら、外部の窓口を使うか、働く場所そのものを見直すかという話になります。
相談する順番
順番を間違えると消耗するので、段階を分けます。
第1段階は、自分の手元をそろえること。 前の章の8項目を1か月分でいいので通します。ここを飛ばして相談に行くと、「たぶん違う気がする」以上の話ができません。
第2段階は、職場の中で確認すること。 就業規則や賃金規程を確認し、上司、給与計算を担当する部署、労働組合などから、自分が相談しやすい窓口を選びます。「この手当は何を含んでいますか」「丸め処理はどういう設定ですか」という事実確認が入口になります。ただし、社内確認で不利益を受ける不安が強い場合や、すでに是正を拒まれている場合は、先に外部窓口へ相談してもかまいません。
第3段階が、外部です。 労働基準監督署のほか、労働組合、都道府県の労働相談窓口、弁護士などがあります。
ここで期限があることは先に知っておいてください。賃金請求権の消滅時効は、2020年4月1日以降に支払期が到来する賃金について、賃金支払期日から5年に延長されたうえで、当分の間は3年とされています。対象には労働基準法37条の時間外・休日労働等に対する割増賃金も含まれます。つまり、気づいてから何年でもさかのぼれるわけではありません。
ただし、自分の事案で何年分をどう計算するかは個別の事情で変わります。時効という制度があること、原則3年であることを踏まえたうえで、具体的な計算は窓口で確認してください。「まだ様子を見よう」を繰り返すと、取り戻せる範囲が減っていくという構造だけは押さえておく価値があります。
職場の誰にも言えないまま何か月も過ぎている、という状態もよくあります。その場合はカンゴさんに匿名で相談する相手に、起きていることを順番に話すだけでも構いません。話しているうちに、自分が困っているのが手続きなのか金額なのか職場の空気なのかが分かれてきます。なお、そもそもの給与水準に納得がいかないという話であれば、それは未払いとは別の問題です。年収診断で条件を分解すれば、どちらの話をしているのかがはっきりします。
よくある質問
Q. 前残業は、どの職場でも当たり前ではないのですか。 慣例として広く行われていることと、労働時間として扱わなくてよいことは別です。事例1も「慣例となっており」と書かれたうえで是正されています。当たり前かどうかは、労働時間に当たるかどうかの判断材料になりません。
Q. 夜勤手当をもらっているので、深夜割増は含まれていますよね。 名前だけでは判断できません。固定残業代の考え方と同じで、就業規則等で通常の賃金部分と割増部分が判別できるようになっているか、そして実際の深夜労働時間に応じた額を下回っていないかを見る必要があります。
Q. 保健衛生業が1位ということは、医療業界がいちばん悪質なのですか。 そう読むのは行きすぎです。件数では3位であり、労働者数の多い業種ほど対象人数は大きく出ます。また保健衛生業には社会福祉施設や保育所も含まれます。読み取れるのは、この区分で対象人数と金額が大きかったという事実までです。
Q. 申告すると職場に不利益な扱いをされませんか。 労働基準法は、監督署への申告を理由とする不利益取扱いを禁止しています。ただ、制度上禁止されていることと、実際に働きづらくならないかという不安は別の問題です。相談窓口では、匿名での相談や進め方についても聞くことができます。
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参考資料
ここで扱ったのは全国集計と公表された指導事例です。あなたの職場に未払いがあるかどうか、いくら請求できるかを判定するものではありません。就業規則の実物と、労働基準監督署をはじめとする窓口で、自分の事案として確認してください。
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