夜勤文庫はたらく看護師さんの物語3
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私、辞めてもいいですか

3

給与明細と、夜勤の回数

読了 約10毎週金曜 朝6時語り: カンゴさんフィクション

給料明細は、いつも引き出しの奥に入れていた。

見ても増えるわけじゃない。見たら、むしろ落ち込む。

だから私は、封筒から出して、総支給額をちらっと見て、手取りだけ確認して、すぐ折りたたんでいた。

その日は違った。

第2話の夜、ノートに「自分の体と気持ちで決めたい」と書いたあと、私は給与明細を机に置いた。

基本給。

夜勤手当。

残業代。

控除。

手取り。

見慣れているはずの数字なのに、並べてみると知らない言葉みたいだった。

夜勤を増やせば給料は少し増える。でも、増えた分だけ、自分の体が静かに減っていく気がした。

先月の夜勤は、6回だった。

今月のシフト表にも、6回。

「ゆいちゃん、若いからまだ入れるよね」

主任にそう言われたとき、私はいつものように笑った。

若いから。

独身だから。

子どもがいないから。

近くに住んでいるから。

夜勤に入れる理由は、いつも私の外側から増えていく。

でも、夜勤に入れない理由は、自分で口にしないと存在しないことにされる。

朝方の眠気。明けの日に誰とも話せなくなること。休日に寝て終わること。肌荒れ。胃痛。母からのLINEを未読のままにすること。

それらは給与明細には載らない。

給与明細には、夜勤手当の金額は書いてある。でも、その夜勤のあとに失った休日のことは、どこにも書いていない。

私は電卓を出した。

夜勤手当を6で割った。

1回分の金額が出た。

その数字を見て、思った。

この金額で、私はあの朝5時のナースコールを受けている。

この金額で、明け方の転倒リスクを書き直している。

この金額で、帰ってから半日眠れずに天井を見ている。

高いのか、安いのか分からなかった。

分からないことが、怖かった。

休憩室で、カンゴさんに給与明細を見せた。

見せる直前、なぜか恥ずかしくなった。

「すみません。お金の話で」

そう言ったら、カンゴさんは眉を上げた。

「なんで謝るん」

「なんか、がめついみたいで」

カンゴさんは、金平糖の袋を開けながら言った。

「あんた、患者さんの点滴量は見るやろ」

「見ます」

「尿量も、出血量も、酸素も見るやろ」

「見ます」

「ほな、自分の生活を支えてる数字だけ見んのは、なんでや」

言い返せなかった。

「お金の話は、いやらしいことやない。働いた時間と、体にかかった負担と、生活を守る力の話や」

私は明細を開いた。

カンゴさんは、ひとつずつ指でなぞった。

「基本給。これは土台やな」

「夜勤手当。これはしんどさに対する上乗せや」

「残業代。ここが少ない時は、ほんまに残業が少ないんか、申請できてへんのかを見る」

「控除。これは逃げられへんけど、見ておかなあかん」

数字が、少しずつ言葉になっていった。

手取りが少ないと感じる時、本当に少ないのはお金だけじゃない。納得できる説明も、休める時間も、相談できる余白も足りないことがある。

「ゆいちゃん」

「はい」

「この明細、あんたを責める紙やないで」

カンゴさんは、机の端に金平糖をひとつ置いた。

「お金の話をするんは、卑しいことやない。自分の命の時間に値札を見る勇気や」Xで引用

胸の奥が、熱くなった。

私はずっと、お金の不安を根性の話にすり替えていた。

夜勤を減らしたい。

でも手取りが減るのが怖い。

転職したい。

でも今より給料が下がるのが怖い。

だから、しんどいと言えなかった。

「しんどい」じゃなくて「生活できないかもしれない」が混ざっていたから。

家に帰って、私はノートに新しいページを作った。

「夜勤を月6回から4回にしたら」

その下に、手取りの差を書いた。

次に、家賃、食費、奨学金、スマホ代、母への仕送りを書いた。

それから、初めて検索した。

「看護師 夜勤少ない 手取り」

「看護師 給料 比較」

「看護師 夜勤手当 相場」

今度は、履歴を消さなかった。

答えはまだ出ていない。

でも、怖さの形が少し見えた。

形が見えたものは、誰かに相談できる。

次の日、私は主任に言った。

「来月の夜勤、少し相談したいです」

声は震えた。

主任は驚いた顔をした。

それでも、私は続けた。

「体力のことと、生活費のことを一回整理したくて」

その言い方が正解だったのかは分からない。

でも、初めて「大丈夫です」以外の言葉を出せた。

夜勤の回数は、根性で決めるものじゃない。

給与明細も、見ないふりする紙じゃない。

私はまだ辞めると決めていない。

残るとも決めていない。

ただ、自分の時間と体とお金を、同じ机の上に置いてみることにした。

それだけで、夜が少しだけ短くなった気がした。

(第4話「登録ボタンを押した、夜勤明け」に続く)

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